恥ずかしい、ダサい文章でも書いて進む

自分の内面と対話をしながら書く文章は、集中すると熱が乗ります。 書いた後に見返してみると、

「何でこんなに熱く書いていていたんだろう」 「ダサいな」 「恥ずかしい」

と思うことがあります。

また、自分は何か特別なこと成し遂げたわけではないし、周りと比べると「まだ誰に読まれるか分からない"書く"という地味な行為をしている」という感覚が襲ってきて、

「何やってるんだろう」

と思うことが幾度となくあります。

しかし、自分はロケットを宇宙に飛ばせるか?かっこいいビートに乗せて最高なラップを謳えるか?美しい建築物を作ることができるか?と想像した時に

毎回、「自分が持っている手札で、今できることを一歩ずつ進んでいくことが最適解だ」という結論に帰結し、また次の章を書き始めます。

どれだけ自分の作品がちっぽけに感じたり、ダサく感じたりしてもとにかく書き続ける。たとえ誰にも読まれなくても。

書いた作品がダサいと感じるけど、何もやらなかったらもっとダサい。

文章の熱は、自分が何者でもなく、何らかしらの形で世の中に価値を創造したいと思っている途中だから、それが文章に乗っかって発生する。

すでにお金があって名誉があったら、こんな文章は書けないかもしれない。

こういうダサい文章はいま悶々としている時期に、書けるうちに、書いておくべきなのかもしれない。

歳をとってこのサイトを見たときに「こんな時期もあったな」って思えるように。