
トロント生活の中で、自転車はいつも僕と一緒だった。
買い物に行く時も、週末にどこかへ行く時も、仕事の道具としても。
春夏秋冬関係なく自転車で街を駆け抜けた。
初めはチープな自転車だったけど、時が経つ頃には6万円くらいのものを買ってパーツをカスタムをしたり、パンクやメンテナンスを自分でするまでにもなった。
何より僕の体の一部のようになって町中を駆け抜けていくときのフローに入る状態が気持ちよかった。
こんなに自転車を虜にしてくれたのは、トロントという美しい街で生活していたからだ。
トロントに着いた当初、僕は手持ち20万円のみで早く仕事を見つけないと生きていく事ができない状態だった。
片っ端からネットで仕事を応募していたら、運良く「バイクメッセンジャー」という仕事に就くことになった。
この仕事は、会社の荷物をただひたすら指定された場所に運ぶ仕事だ。
とってもシンプルなんだけど、その代わり僕はノルマが達成できればいつでも休憩していい。どこで何をしていても良い。
そんな労働環境に味を占めて、この仕事をトロントにいる間丸1年間続けていた。
もちろん、会社から保険が降りなかったり、パンクをしたら自分で修理をしなければいけなかったり、給料もそこまで良くないから週末も働く必要があったりしたんだけど、
体を動かす事が好きで、毎日新しい人に会えて、色んな建物の中に入ることができた。そして何よりトロントの美しい街を毎日駆け巡って小さな旅をしている感覚がたまらなかった。




「こんな楽しくて自由な仕事をしてお金をもらっているなんて申し訳ない」
そんなことを秋の並木道で赤や緑、薄い緑の木々が生い茂り空気がとっても美味しい道を毎日手入れをしていた愛用のピストバイクで漕ぎながら思っていたこともある。
もともと人と一緒に何かをやる事が得意ではない僕にとって
「誰かにああしろこうしろと言われずに、こうやって一人でいろんな街の景色や人々と話したり、観察したりしながら目的地に行って荷物を届けるだけで生活ができている」
という状況を作り上げる事ができていることに僕自身とっても生きやすさを感じていた。
とは言ったものの、仕事はいつもコンスタントにあるわけではなく季節やタイミングによってグッと減ることもあるからお金は貯まらなかったけど、精神的にはストレスを感じず自転車で街を駆け巡っている間に今までの人生、今、そしてこれからの人生についてたくさん自分と対話をできる時間が取れた事が、ものすごく自分にとって価値があったと思っている。
「ノープランで大学卒業後、社会のレールから外れてカナダに来てしまったけど本当に大丈夫なのかな俺の人生?」って思っていた。
たまにふとしたタイミングでパニックになって、呼吸が荒くなって、頭の血がサーッと引いておかしくなりそうな時もあった。
でもこの一年の間に何か悪い事が起こったわけでもないし、特に何も起こらない。今まで通り。大丈夫だった。
「平気じゃん。自分で自分の人生に対して責任を取れれば何をしたって良いんだ」
「もっと肩の力を抜いて、自分の心の声に耳を傾けてそれをやろう。そのほかは神様がなんとかしてくれる。とにかく深呼吸して自分の力でどうにかできるもの以外は手放すんだ」
トロントの街を毎日毎日走っているあいだ、こんなことを言葉ではなくフィーリングとして何度も感じ取ってそれを人に伝えるでもなくただ、自分の体の中で何度も噛み締めていた。噛み締めた後は、いつもフワッとした薄い肌色のオーロラにようなものが僕の体に満ちて平和な気分になっていた。
「あ、またパンクだ」
バイクメッセンジャーに慣れていくると車道じゃなきゃ速度が出なくて面白くなかったから、車の間をすり抜けるように走っていた。まるで空を自由に飛び回る蝶のように。ビュンビュン。
トロントのダウンタウンは平坦で走りやすいんだけど、ガラスの破片が落ちている事が多いからタイヤのチューブを予備で2個携帯しながら走ることが僕らの常識だった。
仕事中にバイクショップに寄る時間なんてとてもないから、ささっと道路脇に寄せていつものように自転車をヒョイと裏返にして小型のペンチを使ってタイヤとチェーンを外す。(ピストバイクはとっても軽い!)

もう一つ携帯していた器具の"先端が曲がったプラスチックの棒"をタイヤとチューブの間に突っ込んでクイっとチューブを外す。
季節は冬で、チューブを外すには結構な力がいるからとても痛かった。手先の感覚がなくなっていた。
チェーンで手がオイルまみれになりながらなんとか新しいチューブをつけていると、
Old Torontoへフェリーで来たたくさんのインド人ファミリー、観光者、カップルが笑顔でどこかへ向かっていく様子がチラッと僕の目に映ったが、僕は再びサドルに乗ってペダルを回した。
週末の夜にQueen stやKing stに荷物を届けにいくと、華やかなドレスを着た男女が高級レストラン前に集まっていたり、仲の良い友達や家族でゆっくりとディナーを食べている様子をよく目にしていた。
「いいなー。体も心もあったかそう。僕は生活するためにとにかくペダルを回さなきゃ」
少し彼ら彼女らが羨ましかった。
でも僕は、これからの人生何をしたいのか、自分が何者なのか、どこを目指しているのか、日本で生活していて全く分からなくておかしくなりそうだったから突発的に「環境を変えてしまえ!!」と決めて誰も自分のことを知らない間反対の、この遠い世界に来たんだ。 今まで色んな人のノイズを日本で浴びてきたから、一人になって自分の心の中と向き合う時間をたくさん作るんだ。だから僕はここにきたんだ。
この考えが僕のトロントの生活の根底にあった。
だから僕には自分と向き合える"自分自身"という存在がいるから寂しくなかった。
本当に寂しかったら僕はルームメイトを誘って夜に何をするでもなくとにかく話してくれた。ニットゥンとブラジリアンガイ、コロンビアンガイ、グラウシアには本当に感謝してる。

トロントでの生活が残り一週間になった頃、僕はニュージーランドに行く支度をしていた。
今まで会ったことのない人、言語、文化、景色に毎日触れるのが病みつきになってしまって、異世界に僕が溶け込んで"僕"が誰だか分からなくなっていく、再定義されていく。常識が意味をなさないから手放して、心が軽くなっていく。色んな人々、木々のざわめき、建物が放つオーラ、街の様々な場所の空気のエネルギーをぜんぶ取り込んで僕の中でそれらが混ざり合っておかしくなっていく感覚が本当に気持ち良くって。。
バイクメッセンジャーを辞めて、自転車も、よく通る道でアイコンタクトとか手をあげて挨拶をしていた馴染みのホームレスにあげてきた。
そして、僕が今まで日常生活で通っていた道を記憶に刻むように、懐かしむように手ぶらでなんにも持たずゆっくりと歩きながら、今までのことを振り返っていた。
結局カナダでは自分の内面と向き合った結果、これが答えだ!っていう明確なものは出なかったんだけど、僕の心の中で"揺れない自分の生き方"みたいなものが出来上がった感覚があった。まだまだそれは熟成中だけど、確かに僕の心の中にあった。
これを成し遂げた!こんなスキルを身につけた!これだけお金を稼げた!とか誰かに誇れるもの、目に見えるもの、両親が感心してくれるものは築けなかったんだけど、僕の心の中はとってもとっても豊かになった。
じゃあ、どれだけ豊かになったの?何か変わったの?と言われたら説明ができないし、証明もできないんだけど、僕自身がちゃんとそれを知っている。
きっと、それで十分なんだ。
