トロントの夏、ブッチャー

季節は夏、真冬から始まったトロントの生活だけど、だんだんと慣れてきた。

住宅街に植っている木々が濃い緑色に変化し、木造住宅の色合いと相性がとても良い。

冬がとても長かったこともあり「これからの夏、たくさん太陽を浴びて生きるぞ!」というエネルギーを木々から感じ取ることができる。

中学校の近くに僕らのシェアハウスがある。

今日もいつものように外から登校してくる子供の声で目を覚ました。

ベットからふと、2階の窓から見える木が視界に入った。

「あれ、昨日よりも少し葉の緑が濃くなってきているな」そう心の中で呟きながら起き上がり、キッチンへ向かい、冷蔵庫を開けた。

ルームメイトはチリ人、メキシコ人と僕で、2人とも朝早くにコンストラクションの仕事で出て行っているから、いつも起きた時には僕だけ。貸切だ。

肉、サラミ、チーズとブレッドを切らしていたから、いつも行く馴染みのブッチャー(お肉屋さん)に買い出しへ出かけることにした。

リタイアしたポルトガルのおっちゃんたちが朝から集まり、トロント独特の"車道にはみ出ているパティオ"でビールを片手に語り合っていたり、シェアハウスの合鍵を作ってくれた鍵師のおっちゃんのお店を覗いて目で挨拶をしたり、ティムホートンから出てくる高校生の集団の間をかき分けながら歩き続けて10分、ブッチャーに着いた。

「ボンディーアー」

いつものようにポルトガル語で店員さんに挨拶をされ、入り口付近の出来立てホヤホヤのブレッドを6コほど取って買い物かごに放り込み、奥にある肉売り場へ向かった。

ガラスケースの中にまだ動物の原型が残った、ピンク色の肉をいくつかじっと見つめて今日買う肉を決めた。

お姉さんに目で合図をして呼び、

「この肉を10ドル分下さい」と伝えると、

お姉さんが肉を袋に詰めて、測りで重さを計測してから袋の口を結び、バーコードが印刷されたシールを貼って僕に渡してくれた。

*

ポルトガル、イタリアのコミュニティーが存在する地域の中に僕のシェアハウスがあった。

別に最初からここに住もうと決めていたわけではなくて、たまたまこの地域にあるエアビーで1ヶ月間だけ激安のシェアハウスを見つけたから予約し、仮でそこに住んでいる間にちゃんとした家を探そうと思っていた。

だったんだけど、案外ここの地域に慣れてしまって。。

ポルトガル人のオーナーからも「来月泊まってくれたら家賃を下げてあげる」と言われてしまったものだから、ズルズルと流されてこの地域に溶け込んでいったという経緯がある。

ルームメイトもポルトガル語を話せる人がほとんどだったし、周辺のスーパーやブッチャーの店員さんも全員ポルトガル語で会話、客もそうだった。売っている大体の商品もポルトガル語表記だ。

アジア人は滅多に見かけなかったけど、僕がお店に入っても誰も気に留めていなかったし(少なくとも僕の目にはそう見えた)、僕自身もこういう環境は簡単に体験できるわけではないから、この状況を自分の中で楽しんでいた。そのため、「この地域で暮らす」ということをしているだけでも毎日が十分に面白かった。

「トロントは移民が多い国」と言われているし、事実そうだ。

それにしてもだよ、僕がここまで移民のコミュニティーにズッポリ入って生活することになるとは正直思っていなかった。そして僕はさ、日本人とか、ローカルのカナダ人とおしゃべりしたり、カフェに行ったり、公園の芝生で寝転んでフリスビーをするようなイメージを渡航前は膨らませていたんだ。

とは言いつつも、自分で流れを変えてここから抜け出そうとは思わなかったし、この流れに逆らったら神様が描いていた僕の人生と違うことをしてしまって、僕を見守ることができない、守ってくれないのではないかと思って、直感でこの地域に腰を据えていた。(え、スピってる?笑)

ブッチャーから通りをまたちょっと進むと、今度はジャマイカの国旗を掲げているお店が立ち並ぶ。

道路を走る車の排気ガスで汚れて黒くなっている横断幕のようなシートに書かれた適当なメニュー表、レゲエがガンガン流れているバーバーショップの前にたむろする黒人のキッズや老人、金ピカのネックレスをカラフルなシャツの上に見せびらかすようにつけている男が歌いながら街を闊歩している、

このように、少し歩くだけで地域の空気感がガラッと変わる。

今こうやって書くと「特殊な場所に住んでいたんだな」と自覚できるようになったけど、当時はそこで”生活”をしていたから僕の中では当たり前な環境だった。

*

お姉ちゃんから肉を受け取った後に

「他には?」と言われた。

「サラミとチーズもちょうだい」と僕は言った。お姉さんは僕が選ぶチーズを分かっていたから、それをとって測りに乗せた。

ここのチーズは色んな種類があって、

「今度はこの匂いのチーズ」「次はこのカラフルなカビが生えているチーズ」

と試して行き、ようやく自分が好きなチーズの種類が分かってきて、そのチーズを毎週のように頼み続けると

お姉さんは「このチーズで間違いない?」って僕が注文する前にスライスの台に乗せて、見せてくれるようになったりもした。

「こういうやりとりこそが、街に馴染んでいくっていうことだよな。」

お店を出ると暖かい太陽の光が僕の体に当たる。

寒い期間が長く続くトロントでは夏の日差しがとっても貴重だったから、寄り道をして太陽とか、夏の匂いとか、街の人のエネルギーとかをたっぷりと味わうように、長い散歩をしながらシェアハウスへ戻った。