「結構良い時間を過ごしたな」と思うような期間があった。
それはただ自分の好きなことをやっていた2ヶ月間だ。
昼に起きてコーヒーをテイクアウト、その日の気分で好きな場所を選んでそこでパソコン作業、ホステルに戻り夜中にまだ起きている人らと話したりジムへ行く、そんな繰り返しの2ヶ月間。
小さい頃に親から何をやっても「こうしろ」「あれはやった?」「なんでそんなのもできないんだ」と言われてきた影響なのか分からないが、
やりたいことを誰にも文句を言われずにできている事が「親からの解放」を体現している感じがして気持ちが良かった。
自分がジムに行ってもカフェに行ってもCBDの気になるフィッシュアンドチップス屋さんに行っても「こうしろ」「それは高いから買うな」「なんでこれをやらないの」とか言われないから「今自分は自分の意思で行動を決定できていてそれについて誰にも怒られない」という生活をなるべく長い間送り続けることが、過去に出来なかった事を取り返すためにもとても大切だった行為なのかもしれない。と時間が経ってから感じた。
自分のペースで生きる心地よさを味わえた。親に怒鳴られて落ち着かない環境から、誰にも文句を言われずに自分と深く対話できる時間をたくさん取ることができた。カナダやニュージーランドに住んでいたときは金銭的に2ヶ月間何もしないという生活ができる状態ではなく働き詰めだったが、ここシドニーではそれを実現できた。
「いや働けよ」
とか思う人もいるかもしれないが、とにかく僕にはどうしても必要な2ヶ月間だったから誰にどう思われてもそれは僕には関係ない。
(いらなくない?→今までは「明日バイトだからもう寝なきゃ」とか思っていたけど、それがないから思う存分自分の興味を追求できた。面白い人といつまでも一緒にいることができた。)
例えば、
(夜のホステルの具体的なエピソード。ディエゴ、台湾人、バルコニーでマテ話す。ラテンの人たちと。この時間に制限はなく、いつまでも浸っていることができた。)
やるべき事がある場合、ホステルに住んでいるからといって普段から四六時中いろんな人と話せるわけではない。だから今振り返ってみると、あの時期にたくさんの人と話した経験や自分がやりたいことを自由にできた2ヶ月間が(少なくとも自分のDNAを少し書き換えたというか、「今の自分の性格って少なくともあの2ヶ月間が影響しているよな」と思っている。あの時間が今の自分の血と肉になっているような感覚もある。それだけ誰に文句を言われずに自分の内側と向き合えた証拠だと思う。
(なぜいろんな人と話すことが、俺にとってやりたかったことなのか。を具体的にここで書いた方がいいと思う。例の後に。)
でも2ヶ月間も休暇というか、自分のための時間を取ったのは、小さい頃に失った感覚を取り戻すとかよりももっと大きなものだと今書いていて思っている。
それは、
側から見るとフラフラしてるように見えるかもしれないけど、良い時間の使い方をしたなぁと思う。
シドニーは夏でほとんど毎日晴れていたからそれも後押ししてこんな時間を過ごせた。「うわ、また今日もずっと眩しい、最高。」みたいな。
夜中にジムからホステルに向かっている間は「今日も終わるけど、また明日自分がやるべき事をやるぞ」と幸せを感じて帰る事ができた。
幸せって「自分が今やるべきことをちゃんとやっている時間」に感じられるものなのかもしれない。お金とかどれだけ美人な女性がそばにいるとかは二の次なのかもしれない。
今でもシドニー生活を振り返るとあの2ヶ月間のワンシーンが思い浮かんできて自然と胸が温かい気持ちになる。