ここには大体ドイツ人、イタリア人、フランス人、ラテン系(チリ、アルゼンチン)が占めている。フランス人は両親のどちらかが違う国という場合がよくあるので、フランス語を話す人たちと呼ぶのが正解なのかもしれない。
夜に彼らが集まると、ニューヨークの地下鉄のような人種をミックスして一箇所に集めたような人たちが全員フランス語話していて見ていて「これが全員フランス人なのか」と思った。
日本で日本人だらけの場所で育った僕だったから、こういう光景が僕の目に珍しく映ったのかもしれない。
これは個人の意見で、シドニーとオークランドで見てきたドイツ人、フランス人、イタリア人の僕なりの見解を説明してみようと思う。
全員がその国の特徴に当てはまるというわけではなく、総合的に見ての見解です。
まずはフランス人、「今が楽しければok」という人が多い印象。それによって周りが迷惑をしても彼らはあまり気にしない。自分たちのことしか考えられないような人が多い印象。責任感っていう言葉がフランス語には存在しないのかな?が無さそう。
例えば金、土の夜にクラブを行く前にみんなで酔っ払っていくのがここに住んでいる人のルーティーンなんだけど、
そしてドイツ人、基本落ち着いている人が多くてなぜか自信を持っている。多分背が高い人が多くて生物的に有利だから??わからないけど
スパニッシュも仲間思いででも輪に入れてくれるんだけど、料理を招待してくれた。でも何か薄い壁を感じる。。スペイン語を話せないと入れない領域があるように感じる。
そしてイタリア人。本当に仲間思いでこいつらが人を裏切るっていうことはほぼないと言ってもいいほど。みんなで集まっていて、自分だけ日本人だったけど、イタリア人の一人から「お前の顔はイタリア人のマリオっていう顔をしている」という理由でマリオとイタリアンネームをつけてくれたり、仲間が移動するときに「俺ら外いるから後で来な」と気を遣ってくれたり、
それ以降彼と会った時に、すぐに僕のことを他のイタリア人にも紹介してくれた。こういう所ってイタリアっぽいな。そう思った。
これまでホステルで色々な国の集団を見てきたけど、イタリアほどはっきりと色が出ている国ってどこを探しても中々ないと思う。
多分それってホステルの大部分を占めるフランス人やドイツ人は移民の割合が多く、国としてまとまりがないため、ごちゃごちゃしていて特徴が掴みにくいというのもあるかもしれないけど、
イタリア人男の話の内容は大体パスタ、サッカー、エスプレッソ。
そして服装はみんな綺麗。男でも女でもそれに関してはイタリア人としてのプライドを持っているんだと思う。金曜、土曜日の夜クラブへ行くときに、イタリア人の集団以上には勝てない。決して派手な色を使っているわけではないんだけど、シンプルで上品でカッコいい。
そして会話中のでの独特なジェスチャー、話している時は相手の目に何か訴えかけてくるような情熱的な目、だけどどこか落ち着いていてすごく仲間思い。パスタを作る時は仲間がいちいち、ちゃんと溶けたチーズがパスタと絡まって滑らかになっているかの確認とかもみんなで確かめる。
あの団結した感じが日本人の雰囲気と似ているから自分の中でこんなにイタリア人に対して良い印象を持っているのかもしれない。どこが似ているかと言われても雰囲気がとしか言いようがないんだけど、、(雰囲気?色?ごちゃごちゃしている)
こうやっていろんな国のグループに入って色々と学べたのは日本人がいなかったからとりあえず自分は飛び込むしかないと思って選択肢がなかったからそういう環境になっていたのは感謝している。
でも彼らが仲間思いだったのは1年間を通して本当に実感できたし、これからも街でイタリア語を聞くと自然と胸が暖かくなるのは事実だ。
この人に何か恩をくれたという行為は必ず時間が経過してもその人の心に残る。
そしてそれを自分の胸の中に留めておくのではなく、今度は自分が誰かにそのもらった暖かさを渡していくことがなぜかはわからないけど義務のように感じるんだ。
そうやって暖かさのバトンを次の人へ渡して今日も世界は良い方向へ回っていくと僕は信じている。
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「日本人と一番近い感覚があるのはイタリア人」
これが、僕が3年海外で生活してきて思ったことだ。
マリオ黒人わかってもきたサイコパスに名付けられた。
イタリア人も日本とは似ていると言っていた。服に気を使うし(ドイツ人と違って)、仲間意識が強い。どの国同士もお互い固まることが多いんだけど、それぞれにその国のエネルギーというのがでてくるんだけど、イタリアのあの感じが似ているんだよね。それをなぜそうなのか説明してみる。
イタリアが集まると、一気にその場所がオシャレの集まりみたいな感じになる。服に気を遣っているのは絶対「当たり前だろ俺はイタリア人なんだから」みたいな。僕のイメージでは、シャツって感じだったんだけど、僕が合ってきた若者は、サッカー系のブランドないきアディダスとかのスポーツ系の服をいい感じに着こなしていた。
波長が合うというより、仲間になったら他の仲間にも入れてくれる感覚がある。でもそれはラテンもそうなんだけど(ドイツは論外)、でも彼らは誰でもその場にいる人と仲間になるという感覚だけど、イタリアは一度ちゃんと仲良くなると、”自分もそのグループの中核に入っている”という感覚を持たせてくれる気がするんだよね。
具体的な点:
[終わり方] もちろん個人的な好みもあったかもしれないが、僕が日本人だから彼らと相性が良いのは確かだと僕は信じている。なんか日本と似ているんだよね。土地的にいうと、どちらも南北に細長く、周囲を海に囲まれているというのもあるし、でもそれがなぜ相性がいいのかと言われたら、「空気」が似ているとしか言い表せない。
日本人の両親から生まれ、日本人が周りにいる環境で育ってきた僕のような人間は一定数いる。その中で3年3ヶ月海外で生活をしてそのうちの2年間を旅人がうじゃうじゃいるホステルで暮らしてきた。僕のような完全な日本人で、親の影響、コミュニティーの影響ではなく自分の意思で海外の環境に一定期間自ら飛び込んだ人、というのは自分で言うのもなんだが、あまり多く存在しないと思う。
留学に行っていて、親の仕事で、帰国子女でとかで、海外生活が長い人がどう世界の人種を見ているのかは分からないが、少なくとも上記に書いたような、日本人だけの日本でずっと生活している人の目線でこの本をかけてきたと思っている。なぜなら先ほども述べたように僕はそこのコミュニティー出身だから。
そんな人たちに向けて(最後の「日本人だから合うのかもしれない」と言う伏線をちゃんと回収できる。この書き方で。)そんな読者の方々に伝えたいのは、「僕らタイプの(典型的な?)日本人の目線から見て、イタリア人は似ている」と言うことだ。
僕自身長く世界中の旅人に囲まれた環境で生活していたから、これは結構事実ではあるかもしれないと言う自負はある。
ホステルにいると、大体国ごとに固まってコミュニティーを形成している。僕は日本人で、日本人はドイツ人やフランス人と違ってどこに行っても少数派の民族になる。そのため僕は違う国の人のコミュニティーに入る機会が多くなる。
この影響でフランスのコミュニティー、ラテン(アルゼンチン、チリが主)のコミュニティー、イタリアのコミュニティーによく混じっていた。
外から見ていると面白いのが、人それぞれ違うが、国ごとに集まって何かをやっているとどうしてもその国の特徴、特有のエネルギーが出てしまうことだ。
そんな中で、なぜ「イタリアのコミュニティー」が僕ら日本人にとって居心地がいいのか頑張って解説していこうと思う。いつもより少し文章が長くなるかもしれない。
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比較で書いてしまうと、物語のリズムが合わなくなる。だからイタリア一本で書いていったほうがいいのかな?
--- 「そのTシャツかっこいいね」
キッチンで僕が簡単な料理な作っていると、もう一人の165cmくらいのがっしりとした体つきの男と二人きりで、パンを洗ったり調味料をとったり何回もお互いの前を行き来していて、雰囲気的に話しかけたかったので僕はそう彼に言った。
彼の名前はダリオでイタリア人、近くのジムに通っていて昔は格闘技もやっていたそうだ。彼がフライパンの中で湯気が立っている"トマトと魚が入ったパスタ"をかき混ぜるためのおたまを掴んでいる拳は、サンドバックで何度も殴ってきたような太くて強靭な形をしていた。
英語が拙いけど、スペイン語が流暢で親の影響でオーストラリア市民という男で、このホステルにもう1年住んでいるということも後から分かった。
ここにはキッチンの他に庭やソファーと大型テレビが設置されてあり、日が経つにつれて彼が食べ終わった後はソファーに寝転がって自分のスマホで見ている映画を大型テレビに繋いでそれを見ながら時間を過ごすというのがルーティーンになっていることに気が付いた。
その日も彼がそこにいたので、作った簡単な料理をソファーに持っていって彼と話すことにした。
僕はジムに通い続けているので、「どんなトレーニングをしているのか」とか「日本のワンピースの話」とか「今やっている仕事の話」とかをしていた。彼は35歳だったので、まるで父親と話しているような感覚だった。
「プラーテモダリオー」
庭からこっちのソファーに向かってくる小柄だがこちらもがっしりとした体つきで、左足に日本の柄のタトゥーが入ったステファノンがおでこの皮膚を頑張って上に上げようとしているけど、今にも閉じそうな真っ赤な目で寄ってきてそのままソファーに寝てしまった。
僕がダリオの友達とわかると、そのまま僕の隣に座ってそのまま真っ赤な目を閉じながらイタリア語で何かお互いに話ていた。
フランス人、チリやアルゼンチンなどのラテン系の輪に入ると、初めは僕と目を合わさなかったり、少し距離を置いて座ったりするのが普通でしt雲それに慣れていたが、なんかこの人たちはそういうようなものがなく、まるで僕が長年の友人のように初めから接してくれていた。何だが心地が良かった。
ダリオが映画を見ている間に真っ赤な目をしたステファノンが隣で寝て、ウーバーの受け取りを逃すというのが僕たちのルーティーンになっていた。
月日が経つと新しいイタリア人が増え、僕のイタリア語のボキャブラリーもも悪い言葉ばかりだけど増えていった。
#長くなっているから、いきなり本題に入って書かないと、読者は飽きる。エピソードや日記みたいなやつは、伝えたいことの補助的な位置でいい