ホステルのRoomが1~25まであるんだけど、オーストラリアのこのホステルに来てから僕はずっとRoom5。
長くホステルに住む旅人の中で、色んな部屋に移動してホステルの中をバックパッカーする人もいるんだけど、僕は半年間ずっと同じ部屋だった。
なぜなら、僕の部屋にはバルコニーがあったから。
ここのホステルは真ん中が吹き抜けになっていて、そこには大型のテレビとソファー、椅子があり、階段を上がるとキッチン、そして庭へとつながっている。
それらを取り囲むように旅人たちの寝る部屋がそびえ立っている。
だから夜10時以降は、みんなが寝れるように吹き抜けにあるソファーやキッチンが使えない。
結果的に夜になったら外に出て騒ぐしかない。
しかし、僕の2階の部屋であるRoom5には寝室と、すぐ横にバルコニーがあるので、みんなが下で騒いでいるのを見物しながらゆっくりと、夜風にあたりながら知り合いだけを呼んで話すことができる。
夜のシーンだけでなく、朝起きた時に向かいのカフェのBGM、そこのお客さんの談笑、食器がカチャカチャ鳴る音がミックスされた音色で目が覚めて、そのままバルコニーへ出て太陽の光をたっぷりと浴びたり、昼には日光浴をしてそこで寝たりすることができた。
こんだけ良い場所だったから僕は今までたくさんの人を招き入れたし、一人で何もせず、通りを行き交う人を見ながらただぼーっとしていたこともあった。
アルゼンチン人のディエゴが一人で外に座っていたから、上から手招きをしてバルコニーへ招き入れ、夜中にジョイントを吸いながらラテンの音楽を流して2人だけで静かに騒いだ夜、
香港人のスンスンがメルボルンに行ってしまう前に、2ヶ月の間ほぼ毎日夜中の2時にお互いのジョイントを回しあい、何を話すわけでもないけど、夜風に当たったり、静かに揺れる夜の木を見ながらハイになったり、
半年間同じ部屋で過ごした、毎日酔っ払っている日本人のヒデタカさんの説教をニコニコ笑いながら聴きながす恒例の時間があったり、(とはいっても根は素直だから、逃げずに最後まで聞いてあげてた笑)
アルゼンチン人のフェリッペがシェアハウスを見つけて出て行ってしまう最後の夜に、親密な4人のアルゼンチン人と僕で強いお酒を飲んだ後にコーラを飲む儀式を回していったり、
馴れ馴れしいドイツ人のエラが夜にマシンガントークで恋愛相談を持ちかけてきて、彼女が滞在する間、毎夜彼女の相手をしなければいけなかったり、
向かいのカフェの横にコンクリートに直でマットレスを敷いて黒い犬と一緒に住む、おばさんホームレスが奏でる驚くほど上手い歌を毎夜聴いたり、(夜中のクラブ帰りのグループがよく彼女の歌声に足を止めて聴き入っているのを目撃するほどだ。)
COLESというスーパーで買った手提げ袋のような形をしたビニールに入っている黄緑のの巨峰を食べていたら、イタリア人のステファノンが来て「こんな巨峰は俺の地元で見たことがない」と言い出してその場で家族に電話をして、終始何を言っているか分からなかったが情熱的なイタリア語でスマホ越しに彼の家族に話しかけられた怒涛の1時間を過ごしたり、
背の高いヒッピーの格好をしたオランダ人が、毎回良いことを言ってそうで結局何が言いたかったか分からなかったが、よく一緒に時間を過ごしたり、(一緒にいて居心地は良かった。)
バルコニーから肘をついて外を見ている僕に気づいたのか、ポリスの制服を着て、短パンにブーツという格好のゲイによく挨拶をされたり、
アイルランド人の旅行者が3人きた時には、毎夜バルコニーで飲んで騒がれた時は困ったけど、
あそこはホステルの外でみんなが騒ぐ場所とはまた違った、静かで狭い空間だったから、パーソナルでより深い関わり方ができる場所だったし、勝手に入ってくる人たち以外、僕は深い繋がりを持っている友人しか招き入れなかった。
ここまでは良かったんだけど、繁忙期が来て旅人が出てきてはまた入ってきて、ベテランホステル勢の「暗黙のルール」を知らない連中が大量発生して僕の部屋Room5にも侵食してきたから、バルコニーでゆったりと過ごせる時期は幕を閉じた。
僕は騒がしくなってしまったその部屋を出て、もっと静かな部屋へと移った。
色んな季節の夜の思い出があそこには残っているし、今でもふとあのバルコニーから見えた景色を思い出して、しんみりというか、暖かいというか、なんだろう、、とても静かでふわふわとした、懐かしい気持ちになる。