ありがとうダニエル!

「この家出ていってくれない?2週間後に。」

ホテルのバイトの休憩中にシェアハウスのオーナーである香港人のダニエルからのメールでそう言われた。

たしかにキッチンで火を使っている最中にその場を離れたり、

パソコン作業を長時間していたため、彼からしたら居心地が悪かったのかもしれない。

コロナが収まってきたから家賃の値段を上げて、他の人の入居が決まったのかもしれない。

本当の理由は分からなかったけど、とりあえず僕は次に暮らす場所を探す必要があることは確かだ。

「お願いだから、まだここに居させて」と交渉する事もできたかもしれないが、

それが仮に成功してここに住み続けても、なんだか居心地が悪くてきまづくなるかもしれないし。

「さて、これから住む場所をどうやって探そうか」

*

ニュージーランドに到着してすぐ、trade meという有名なインターネット掲示板を使ってこの家を探した。

一番最初に連絡をくれて下見しに行った家だった。特にこだわりは無かったのですぐに「ここに住む」とダニエルに言ってその場で契約書にサインをした。

オークランドの中心部から少しだけ離れている住宅街で、周囲10kmくらいほとんどが一軒家。近くにあるMtEdenという観光地で有名な山を登ると、頂上からずっと遠くまでよく見える気持ちの良い地域だった。

週末になるとオークランド最大級の(と言っても規模はそこまで大きくない)洋服を売るマーケットがすぐそこで開かれてオシャレな人がたくさん集まっていた。

「東京に比べたら何もない街なのにどこからそんな服をこの人たちは集めてきているんだろう」とも思っていた。

彼がよく「教会に行かないか?」と誘ってくれたので、予定が空いている日は彼について行った。

日本の外で生活していると、自分がカトリックやキリストでもなく「何も信仰していない」というとよく驚かれる。

「結婚したら?死んだら埋葬はどうやってするの?」とある人から興味津々で聞かれた事があった。

そんな事は考えた事がなかった。そもそも無宗教の人は自分の結婚やお墓は何に基づいてやっているのだろうか。。

ニュージーランドの教会にダニエルらと一緒に行く前に、アメリカのアトランタ州で何回か白人のキリスト教会に行ったことがある。小さいお城のような外観で、中に入るとみんなが笑顔で迎えてくれた。

「せめて教会にいる間は良い人間でいよう」

そんな雰囲気が人々から伝わってきた。

そこではみんなで立ち上がってギターやドラムの音に合わせて歌って踊ったりした。歌った後は周りの人と雑談をする時間があり、その頃の自分のつたなかった英語でも笑顔で嫌な顔せずに聞いてくれていた。教会の中に入ったら笑顔でいるという、みんなの「暗黙の了解」みたいなものがここまで自分のネガティブなエネルギーを浄化してくれるとは思わなかった。(黒人の教会に行くとダンスへの熱量が半端ないらしい。僕は行ったことがないが、この話はよく聞いた。)

ダニエルに連れて行ってもらった教会はアトランタの教会と比べるとまったく教会っぽくなかった。建物の外観がまるで簡易的に作られたショッピングモールのようだった。中に入ると映画館のように作りなっており、舞台に立った人がキリストについて自分の体験談を語って、子どもたちが歌に合わせて踊るショーを見て終わった。ギターやドラムに合わせて踊ったり、ワインやクラッカーを回されたりはしなかった。

ダニエルには成人した子供が2人おり、どちらもシェアハウスの近くに住んでいた。

息子と娘が月1くらいの頻度で僕らのシェアハウスに来て、ダニエルと一緒に4人でご飯を食べた。ご飯だけではなく、休日になるとテニスやバトミントンをしに郊外へ連れていってくれた。

「香港から家族でニュージーランドへ移住し、週末を一緒に過ごす」というスタイルはいいなと思った。自分も彼らの家族の一員になった気分だった。

こんな感じで、ダニエルは僕を「家族の一員」のように接してくれた。

*

何も遮るものがなく遠くまで見えるニュージーランドの空がオレンジ色になってきた時、僕は大きい山のような公園を何周も歩きながらこれからどこで生活をするかを考えていた。

実はシェアハウスのトラブルはこれが初めてではなく、カナダのトロントで暮らしていた時もオーナーとトラブルになった事があった。僕にとって家は寝て休息するための場所でもあるから、そこにストレスを感じてしまうのは長期的に考えて精神的に良くない。

「また新しいシェアハウスを探してもトラブルになるかもしれないし、その事を考えるだけで嫌な気持ちになる。」

「そもそもオーナーが存在しない場所に住めばいいのかもしれない。ホテルで暮らす?友達と一緒に家を借りる?でも金銭的にそういう余裕は無い。じゃあホステルは?」

ニュージーランドについた当初、2週間だけホステルで生活をしていた。ホステルに泊まったのはそれが人生初めてで、毎日いろんな人が入れ替わりで入ってくるし、何より世界中の若い男女がたくさん集まるから刺激的だった。

この経験から、せっかくワーホリに来ているんだから、環境をガラッと変えて若い男女がいる場所に飛び込めば何かが起こるかもしれない。そういう思考回路だった。

そして「ホステルに住む」っていう経験は若い"今"しかできない。これを逃したら「あの時住んでみればよかったな」とか思ってしまうのを想像すると、「後悔」という感情が湧き起こって胸が痛くなった。

僕が今20代だからこそ、今しかできない経験をビザの残り6ヶ月間を使ってやってみる。

1人でたくさんの旅人に囲まれて生活する場所に飛び込んでいくのを想像すると、とても怖かったけど、ワクワクもした。

でも踏み出してみよう、飛び込んでしまおう。これだ!もうホステルに住んじゃおう!!

ニュージーランドの空がオレンジ色から濃いオレンジ色に変わり、周りの景色が暗くなってきたが、それとは反対に僕の心の中はこれから起こることを想像するとブワーッと明るくなってきた。体の奥底で何かが燃え始めていた。

「よし、決まった!」

公園を後にして、シェアハウスに戻り、パソコンを開いた。オークランド中心部にあるホステルをインターネットで予約した。

「シェアハウスを出て行ってくれ」と言われた時は、どうしようかとっても不安でおかしくなりそうだったけど、公園を何周もして頭もぐるぐると回した結果、もう僕のやることは決まったから大丈夫。

「ダニエル、これからの生活について考えるきっかけをくれてありがとう」

別の日、彼へ部屋の鍵を返しに行き、「残りの生活楽しんでね」とか、僕に対する今までの印象を言葉で伝えてくれた。

最後、ダニエルがお気に入りのチョコレートを僕にくれた。

なぜ僕を追い出したのかは聞かなかった。

「家族のように扱ってくれた」と書いたけど、やはり彼にも彼の人生があるから、そこは切り離して考える必要がある。

そして、時が経ちその人のことを思い出した時に「最後の印象が悪いと出来事全てが印象の良くないものになってしまう」ということを僕は知っていたから。

こんな経緯で僕は「シェアハウスで暮らす」という人生に一旦幕を閉じて「ホステルで暮らす」という新しい章が恐怖とワクワクを背負いながら幕を開けた。

「オークランドで6ヶ月間だけ暮らしてみよう。嫌だったらまたその時に決めればいいよね。」

そう考えていたんだけど、これから先オーストラリアに行くことも、タイに行くことも、そして、そこでもホステル暮らしを続けている事も、この時の僕はまだ想像もしなかった。

最後にもう一度、ありがとうダニエル。