ホステル日記が僕にとって初めての「長い文章を書く」執筆体験になるのですが、書いた文章を読み返したり、何度も直してまた書いたりして、だんだんと自分の文体が確立してきたような気がします。
ただ適当に書く訳ではなく、今までの経験から自分なりに気をつけているポイントがいくつかあります。その中で「自分の言葉で書く」というものがあります。
今日はそれについて少し書いていこうと思います。
文章を書くときに、カッコいい言い方を選んだり、難しい言い回しを多用したり、テンプレと呼ばれるような表現を使ったり、、そういう事、あると思います。
しかし文章を読者が読み進めていくと、自分の心で考えていることが読者へ透けて伝わっていくときに、自分がそのまま感じたことを自分の文体で表現しないと、「あれ、なんか上手くこの人の考えていることが入ってこないな」って感じられてしまうと思うんですよね。。
自分の言葉で書かないと、その人のキャラクターも立たないし、せっかく書いている文章なのに世界観に上手く入っていけないことってあると思うんです。
文章を書く側の人からすれば、自分をよく見せようとか、まだ書き方が掴めていないから探り探りで、、とか理由はさまざまあると思います。
でも自分の心で感じたことを、ダサい言い方でも、幼稚な言葉でも、自分の言葉で、自分にガチっとハマる言い方で表現することで、それは例え幼稚な文章でもちゃんと伝わると思っています。
むしろそっちの方がその人っぽくて、もっとその人の文章を読んで近づこうとしてくれる読者の方も多いと思うんです。
今やAIで上手に文章が生成されます。
そんな中自分で頑張ってカッコよく取り繕っても分かる人には分かってしまいます。
自分の言葉で書いていって、たくさん書いていって、だんだんスタイルが確立してきて、自分なりに上手になってきている、自分の文体にはまってきている、その過程自体を読者に見せることがとっても価値があることだと思っているんです。
AIは一瞬で上手な文章を生成してくれますが、
僕たち人間が何ヶ月も、何年もかけてちょっとずつ上手くなっている文章たちを読者に見せれることって、それは時間の概念がある私たち人間が表現できることですよね!!
最近、岡本太郎の「自分の中に毒を持て」という本を読みました。
彼は職業が小説家の方たちに比べれば文章が上手という訳ではないのですが、彼が放つ文章の熱、魂の叫びがひしひしと伝わってきて、とっても彼の生き方に共鳴をしました。
これって彼が思っていることを彼の言葉で書いた結果だと思うんです。
もちろん「自分の言葉で書く」っていうことは自分の弱さ、未熟さ、幼稚さを曝け出す行為で怖いです。恥ずかしいです。
それでも書いて、公開し続ける、これがとっても人間的で美しい活動だと僕は信じています。